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すの記

フリーランスライター・鈴木希望のブログです。

「死にたい」とつぶやく子どもたちに「命の大切さ」が響くのか

 

はじめての方には「はじめまして」。そうでない方には「お久し振りです」。

フリーランスライターの鈴木希望です。

ブログを引越しいたしました。理由は「今の自分はこっちの方が楽そう、なんとなく」、その程度でございます。

 

さて。昨日SNSで下記のブログがシェアされてきました。

lite.blogos.com

 

誕生学について知ったとき、わたしは強烈な違和感を抱きました。それはわたしが、松本先生おっしゃるところの「1割の子どもたち」のひとりであり、ごく身近にやはり「1割の子どもたち」として生き、若くして亡くなった幼なじみ(以下・T)がいたからです。Tに関しては若干のフェイクを入れて書きますね。

 

後にアスペルガー症候群と診断されるわたしと、今にして思えばADHDと思えるような特性を持っていたTは、学校では“扱いにくい子ども”とされていました。言葉にしにくい生きづらさを共有できることも、Tとわたしの距離を縮めていたのだと思います。

中学校に入るころ、わたしはてきめんに体調を崩し始め、朝から放課まで学校にいられない、半ば不登校のような状態になりました。今思えばアスペルガー症候群の二次障害だったのでしょう。Tは一見ごく普通に登校していました。

中学校卒業を間近に控えたある日、どんなタイミングであったかは失念してしまいましたが、「死にたいと思ったことはある?」とTに質問されたことがありました。

「あるよ。しょっちゅう。死にたいというか、自分をなかったことにしたいような」

「ああ、あるんだ。そうか」

「そういうこと言うなとか怒られそうだから言わないけど」

「でも、思っちゃうのはしかたないよね」

今にして思えばTも相当追い詰められていたのだと思いますが、自分も追い詰められており、そしてその自覚がなかった当時のわたしは、「そうか、Tも思うんだね」程度にしか感じていなかったような気がします。

別々の高校に進み、Tはそのまま県外の専門学校に進学。わたしは高校中退を経て就職、その後諸事情あってやはり県外に転居しましたが、電話や手紙の交換は続いていました。そうした中、彼女はうつ病を発症し、やはりうつ病を経験したことがあるわたしのもとに、泣きながら電話をかけてくることが増えたのです。

「わたしが死にたい、消えてなくなりたい、って言うと、そんな悲しいこと言わないで、って返ってくるの。わたしだって、死にたいとか思わなくて済むようになりたいよ。でもそういう気持ちが浮かんでしまう。それを吐き出すことさえ、わたしには許されないのかな?」

泣きじゃくりながらTの口から吐き出された言葉は、今でも耳に残っています。「そんな悲しいこと言わないで」と返してきた相手が誰なのかはわかりませんが、相当に堪えたでしょう。そう、彼女の言葉のとおり、「死にたい」と口にする人は「死にたいとか思わなくて済むようになりたい」けれどどうしていいのかわからないケースがほとんどなのです。

そしてTは20代前半のある日突然この世を去りました。

 

話は変わりますが、この話の数年後、わたしは夫からのDVを受け、精神的に衰弱していました。通勤途中、ほぼ無意識に線路に飛び込もうとして、周りの誰かに羽交い締めにされてはっとする、というのが日常化していたほどです。DVを受けているという自覚がなかった当時のわたしは、どうしたものかと悩み、とある人に打ち明けました。

「そうやって死の提灯を軽々しく掲げて同情引こうとするのはやめろ」

この言葉が返ってきたとき、「ああ、やっぱりつらさを吐き出す資格なんて自分にはないんだ」と思い込み、ますますふさぎ込みました。現在の元気なわたしがこのやりとりを振り返ると、相談された方もさぞかしお困りになっていたのだろうなと思えるのですが……。

 

DVを奮う夫から逃げてその後離婚、PTSDの治療をしていたとき、「つらい思いが浮かんだら、それを紙に書き殴る」というワークを医師に勧められました。「死にたい」「消えてなくなりたい」などと浮かんだら、それをそのまま紙に書く。考えず、ひたすら、浮かんだままに書き殴る。しばらくそれを続けていると、いつの間にか「生きたい」「生きたい」「生きたい」と、泣きながら書いているのです。「死にたい」と思うたび、本当は生きたい自分に気付かされました。何度も何度も「本当は生きたい」と泣きました。

ですから松本先生のおっしゃる

誰かに「死にたい」と告げるのは、「死にたいくらいつらいけど、もしもそのつらさが少しでもやわらぐのであれば、本当は生きたい」という気持ちがあるからです。

 この言葉が、身に染みてわかるのです。

 

生まれてきたことへの喜びを見い出せなかったり、生きることの楽しさを見失ってしまった子どもに、「命は大切。死ぬなんてもったいない」という正論のような言葉を伝えたところで、果たしてその心に響くのでしょうか。

 

「生きたくても生きられない人もいるんだから、って言われてもね。あげられるならその人に命をあげて、最初からいなかったことにして欲しいよ、わたしなんて」

15歳だったころの自分の言葉が、ふと思い出されました。