読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

すの記

フリーランスライター・鈴木希望のブログです。

初めての○体○○

過日、「ノゾミさんって、書く文章からしてモテなさそう」と知人からご指摘を受けました。「モテなさそうな文章って何だろう?」という疑問はさておきまして。「5人から同時に告白された」というような経験もありませんし、いわゆる「男を切らさない」タイプではないので、決してモテる方でないことは確実です。

そんなわたしですが、男性に言い寄られた経験がないわけではありません。今回はわたしにとっての貴重なモテ話について書くとしましょう。

 

現在41歳のわたしが20代後半のころに話は遡ります。

当時、東京都下の某所に、小さなレゲエバーがありました。当時わたしは都内某所に住んでいたのですが、電車を乗り継いで足を運ぶほど好きな店だったんです。


ある週末、「先に行って飲んでるよ」という友人からの連絡を受けて件のバーへ。
ドアを開け、友人が手を振るテーブルに向かって歩き始めると、「若いころは海外放浪していました。今はオーガニックが大好きです」といった雰囲気を全身にまとった還暦絡みの男性が、わたしの前に立ちはだかりました。

「君には高貴な血が流れている」

(え?いきなり何?つーか誰?)

ポカーンとするわたしを置き去りにして、彼は店中に響く声で
「おい!高貴な方がいらしたぞ!ひれ伏せ下民ども!!!!!」
と。

(ちょ、え、下民って。何言ってんのこの人)

スタッフも他のお客さんも「あーはいはい始まった」と言った表情。
そっと寄ってきた店の常連でもある友人に聞くと、その男性ことCさんは、ときどきバーに現れる馴染みの変人だとか。

めんどくさいのがいるときに来ちゃったのかなーとわずかに落胆しつつ、変人をすり抜けテーブルに移動、ビールをちびちび飲んでいると、Cさんはわき目も振らずに歩いてきて、わたしの前にシッダウン。
「ご一緒してよろしいかな?」
わたしがはいもいいえも言わないうちに、Cさんは学生運動だの右だの左だの、「あ。やっぱり海外放浪してて今はオーガニックが大好きなんだ」みたいな内容の、なっがーい自己紹介を始めたんですが、半分以上聞き取れないほどの早口。

話が終わるとこちらの反応を待たずにスタッフを呼び、
「おい、メニューにある料理を全部持って来てくれ!」。

次々と運ばれてくる料理を眺めながら「これ全部食うのかすげーなジジイ」と思っていたら、
「こちらはあなたさまへの供物でございます。すべてお納めくださいませ」
と。

(えええええええっ!?供物?????)

供物の2文字にも驚きましたが、何より量。

「こんなに食べられません!困ります!」
断るわたしの言葉なんぞ、全く聞いちゃいません。
「このような方におめもじかなうとはありがたき幸せ」
というや否や、椅子から降りて五体投地を始めたのです。

これを読まれている方は、五体投地をされたことはありますか?わたしはこのときが初めてでした。仏教の聖地ではないのに…… 本気で意味がわかりません。

日本語じゃない言語で何か唱えてるし目がイッちゃってるし。何かキメてるわけでも酒が入ってるわけでもなし。完全しらふだからこそかなり怖いのです。
トランス状態になったところで逃げようかと思っていたら、Cさんの動きはピタッと止まり、
「タバコ買ってくる」
と言い残して店を出て行きました。


「何あの人、いっつもあんななの?」
と友人に聞くと、
「いつも変な人だけど、今日は更に変だ。ノゾミ、気に入られたんだね……」
ですって。気に入ったから五体投地って初めて聞いたよ……。


平静を取り戻したCさん、店に戻って来たかと思ったら、コンビニ袋からレンズ付きフィルムを取り出して、今度はわたしの撮影を開始。勿論全力で拒否するわたし。
「あの、ちょ、そういうのやめてくださいませんかね……?」
「Cさん、ノゾミ嫌がってるよ」
友人も見かねて助け船。

「黙れ!!!!!このお方の姿を写して現像をすれば、お会いできないときにでも礼拝できるんだ!!!!!俺の信仰心を軽んずるな!!!!!」

(ジジイ落ち着けわたしは人間だ!崇拝の対象にしないでくれ!)

「美しい女性がいればその場でマス〇ーベーションするのが礼儀だが、このお方の場合は目の前でするのがはばかられるのだ!!!!!」

今のわたしであれば「店主、すぐさまこの変態ジジイをつまみ出せ。そして出入り禁止にしろ」ぐらいは言うでしょう。しかしこのときは唖然するばかりで、声さえ出ませんでした。

Cさんは五体投地を再開、トランス状態に。
そしてまた
「コンビニ行ってくる」
と、レンズ付きフィルムを置き忘れたまま店を出て、その日は戻って来ませんでした。


その数日後、Cさんが柵の付いた病院に入院したと友人から聞きました。
Cさんの退院を待つことなく、店は店主の奄美大島移住を機に閉店。その後彼がどうなったかを知る術は、今のわたしにはありません。


あのできごとが、わたしの「大概のことには驚かないハードル」を、ぐっと高くしたことは間違いないでしょう。

 


あ、モテ話じゃないですかそうですか。

ラーメンかつ吉

東京に住んでいても東京タワーに登ったことがない人がいるように、「いつでも行ける」と思える場所にはなかなか足が向かないものだ。

中学校への行き帰りに前を通っていた『ラーメンかつ吉』は、わたしにとってその最たる存在。波板張りの食堂然とした店構えは、決して敷居が高そうではない。とはいえ、『かつ吉』。ラーメン屋なのにまるでとんかつ屋のような屋号を掲げる店の主はなんだか面倒そう……そんな印象が拭えなかった。


しかし、見慣れた風景が姿を変え、馴染みであった店が看板を下ろすことが少なくない昨今。「いつでも行ける」という思い込みにより、「いつかは行きたい」というかすかな願望が、叶わぬままで終わるかもしれない。少しだけ自分を奮い立たせ、『かつ吉』の扉を開けた。

出迎えてくれたのは、わたしの勝手な想像とはまったくかすらぬ、還暦絡みと思わしきにこやかな男性だった。
4人掛けのテーブル席が4つ、6人が座れるカウンター。こちらは想像どおりの食堂らしい造り。AMラジオの音声が温かく響いている。

メニューにあるのは塩ラーメンと醤油ラーメン、 チャーハン、焼豚丼、ライス等、奇をてらったものはない。夏には冷やし中華も加わるようだ。選択肢は少ないが、わたしにしたら初めての店。どれを食べたら良いのか迷ってしまう。
「おすすめはどれですか?」
と訪ねると、
「塩ラーメンが評判いいね」
とご主人が微笑むので、それを注文。

出てきたものを見て驚いた。スープにはいっさい濁りがなく、丼の底が見えるほど透明なのだ。すすって驚き再び。野菜の甘味と昆布や椎茸の旨味がしっかり活かされた出汁は、ラーメンスープと思えないほどの上品さ。極細の麺と絶妙に絡み合っている。叉焼の代わりに添えられた蒸し鶏も好相性。優しく、しみじみと美味しい。


たまたま客がわたしひとりであったので、お話を聞くことができた。
ご主人である重野隆男さん(65)は、生まれも育ちもこの土地。市街地の料亭で腕を奮うお祖父さんに憧れて料理人を志し、中学校卒業と同時に上京。日本橋人形町の割烹で10年修行した。
「自分が店を構えるなら、気軽に食べてもらえるものがいいとずっと思っていたんです」

日本料理の道へは進まず、帰郷してこの店を開いたのは40年前。最初は大衆割烹に近い品揃えだったという。
あるとき、お客さんからの提案で作ってみた和風出汁の塩ラーメンが好評。試験的裏メニューだったが、注文が増えたことから定番化。ラーメン中心になったのは25年くらい前。ちょうどわたしが店の存在を知ったころだ。

とんかつを出していた時代も、やはりあったのだろうか。
「屋号のことですか?よく言われるんですよ、紛らわしいって」
重野さんのお祖父さんが克吉さんというお名前で、そこから拝借したのだとか。

「やっていることは違いますけど、料理に心を込める祖父のようになりたくて入った道ですからね。屋号にしておけばいつでも思い出せるでしょう。祖父も喜んでくれました」


昼間はほとんどひとりで切り盛りしているが、混雑する夜には、奥さん(62)と近所に嫁いだ娘さん(28)が手伝ってくれるのだという。現在息子さん(30)は県外の料亭へ修行に出ており、年内には重野さんとふたりで厨房に立つ予定になっている。


後継ぎも決まっており、ひとまず将来も安泰であろう『ラーメン かつ吉』。
だが、残念ながらわたしは二度と訪れることができない。

 

 

 

 

 

なぜなら、これは過日見た夢の話だから。

【レシピ】海南鶏飯

もうひとつの我が家の定番メニューが海南鶏飯です。

玉子焼きや野菜は付け合わせとしてその都度テキトーに作っています。
なので、海南鶏飯の本場・シンガポールのそれとは別だと思っていただけたら幸いです。


f:id:sunokohan:20170209174341j:image

 

≪材料≫4人分ぐらい

米……2合
長ねぎ……1/2本(青い部分も)
生姜……ひとかけ
鶏むね肉……1枚
塩、こしょう……各適量


[A]
 鶏ガラスープ……350ml
 塩……小さじ
 ※市販の鶏ガラスープの素を使う場合
水……350ml
鶏ガラスープの素……小さじ2
 酒……50ml
 

≪作り方≫

①米は洗って30分以上浸水させて、ザルに上げる。鶏肉はフォークなどで穴を開け、塩こしょうを振り、油をひかないフライパンで皮目から焼き色が付くまで焼く。長ねぎは小口切り、生姜はみじん切りにしておく。

②鍋に米、長ねぎと生姜、[A]、鶏肉を入れて炊く。※炊飯器でもOK

③炊き上がったら鶏肉を取り出して食べやすい大きさに切る。器にご飯と鶏肉を盛り付け、好みでスイートチリソース等をかけていただく。

【レシピ】魯肉飯

f:id:sunokohan:20170209173602j:image

ごはんのメニューに悩むとよく作る料理のひとつに魯肉飯があります。
InstagramFacebookにアップしたらレシピを知りたいという方がいらっしゃったので、こちらに記しておきますね。

 

≪材料≫4人分ぐらい

豚バラ肉(ブロック)……500gぐらい
長ねぎ……1本(青い部分も)
干しシイタケ……8枚
ゆで卵……4個(なくても良い)
エシャロットまたはみょうが……2~3個塩・こしょう……各適量
生姜……ひとかけ


[A]
 酒(あれば紹興酒)……300ml
 はちみつ……大さじ3
 醤油……大さじ2
 オイスターソース……大さじ3
 五香粉……小さじ1

ご飯……4膳分
好みで香菜、茹でたチンゲン菜等


≪作り方≫

①豚肉は食べやすい大きさに切りにし、塩・こしょうをふる。干ししいたけは600mlの水(分量外)で戻し、1cm角に切る(戻し汁は捨てない)。エシャロットはみじん切りに、長ねぎは輪切りにする。

②フライパンを熱し、脂を溶かし出すようにして豚肉を炒め、焼き色が付いたら取り出す。その脂でエシャロットと長ねぎを炒め、しんなりしたらしいたけを加え炒める。さらに[A]を加え入れて炒める。

③別の鍋に豚肉と②を移し入れ、しいたけの戻し汁水600mlと細切りにしたを加え、蓋をして弱火で40分で煮る。さらにゆで卵を加え、10分煮る(水を足しながら長時間煮込むとさらに美味しくなる)。

④器にご飯を盛り、③をかけ、ゆで卵、好みでゆでたチンゲン菜や香菜を添える。


ちなみに普段は目分量です(笑)。

俳優・ベンガルとシャバシャバのカレー

過日、友人がベンガルについての話をしていたので、わたしはインド料理が食べたくなってしまいました。

ベンガルとは、インドの地名でもなければ猫の種でもありません。名バイプレイヤーとしておなじみ、俳優のベンガル氏です。


f:id:sunokohan:20170209152332j:image

 

10年前の話。

仕事の合間に昼食を摂ろうと、都内某所の商店街で時計を見たのが14時過ぎ。飲食店の多くはランチタイムを終え、中休みに入ったころ。

「タイミング逃した……」

コンビニでサンドイッチかなんかを買って腹にぶちこもうかとあきらめモードで歩いていたわたしの目に、「営業中」の看板を出したままのインド料理店が入ってきました。でもよく見るとランチタイムは14時で終了のはず。

「まだやってるのかな……」

入るかどうか迷っていたら、ガラス窓越しに店主らしき男性とばっちり目が合ってしまいました。

as soon asとはこういうときに使うんだという勢いと早さで彼はこちらにツカツカと歩いて来てドアを開け、素晴らしいファルセットボイスで
「いらっしゃいませぇぇぇぇぇぇ!!!!!」
と叫ぶではありませんか。もう入らないわけにはいきません。


カウンターの向こうには、先ほどの男性と調理人の男性。ふたりともインドの出身。客席にはわたしひとり。

「休憩時間に入るんじゃなかったんですか?」
わたしの問いに店主は即答。
「大丈夫だよ~。食べたいお客さんがいたらそっち優先!」
親切なのか暇なのか―失礼なことを考えながらメニューを眺めたのち、わたしはサグパニール(ほうれん草とカッテージチーズのカレー)を注文しました。

「初めて来てそれを注文するあなたは凄いです!あなた、インド料理が大好きなんですね!?」

(いや、だってメニューに説明文書いてあるじゃん)
と思いつつ、
「あ、はい。以前インド料理屋さんで働いていたのもあって」
とわたしが返すと、いきなり鈍く鋭く光る店主の目。
「……それはどこ?」
正直に某有名店の名前を告げると、

「あそこ!?あそこは確かに有名!あそこは確かに人気がある!でもうちの方が上!絶対上!」

と熱弁が始まりました。

闘争心に近いような店主の熱に当てられながら、「こういう気持ちで研鑽を重ね、美味しい料理ができてくるのなー」なんて呑気にうなずいていたわたし。
「あの店よりうちが上という証拠、ちゃんとありますよ!後ろ!見てください!」
振り返ると、たくさんの写真を押しピンで刺した大きなコルクボードがありました。E版かL版、いわゆる標準サイズの写真で微笑んでいるのは、来店したと思わしき芸能人と店主の姿。
(一流に愛されてるって言いたいのかな……)
と頭をかすめた直後、視界に飛び込んだ強烈な違和感。
それは、1枚だけA4サイズに引き伸ばされ、パウチ加工された俳優・ベンガル氏の写真。
「うちはねえ、ベンガルさんが認めた店なんです!!!!!!!!!!」

「え、あの、ベンガル?さん?名前は確かにインドの地名ですけど、インド料理に詳しいんでしたっけ?ごめんなさい、わたし、よくわからなくて……」
「わたしもそれは知りません。でもベンガルさんは素晴らしい人なんです!わたし、ベンガルさんの大ファンなんです!」
「あ、ああ……ファンだった人に誉めてもらえると嬉しいですよね」
「はい、わたしは店に来てくれて、ベンガルさんの大ファンになりました!」
「???……あ!店にいらしてお人柄や出演されている映画やドラマを知って、大ファンになったってことですね!?」
「違います!」
「えっ……?」

店主とわたしの間に流れる沈黙。
そしてわたしの前には、いつの間にか運ばれていたカレーとナン。冷めきってシャバシャバのカレーと、冷めきってパッサパサのナン。

「あの……いただいてもいいですかね……?」
「はい……」

シャバシャバとパッサパサだったけど、カレーもナンも美味しくて、「出されたばっかりだったらもっと美味しかったんだろうな」なんて思っちゃって。
顔に出ていたのかどうかわからないけど、店主は何回もわたしに謝ってくれました。
「ごめんね、自慢話に夢中になって、自慢したいはずの料理を美味しく食べてもらえなかったね」
って。
それで「美味しいご飯を食べられなかったお詫び」としてマサラチャイを出してくれて、「わたしの自慢話を聞いてくれたあなたへの報酬」と、食事代を無料にしてくれたのでした。

 

以来、俳優のベンガル氏を見るたびに、シャバシャバだけど美味しいカレー、パッサパサだけど美味しいナン、そしてA4サイズに引き伸ばされてパウチ加工された写真を思い出すわたしなのです。

またこの街に足を運ぶことがあれば立ち寄ろうと思いつつ、1年が過ぎ、2年が過ぎ
、5年が過ぎ、10年が過ぎ。
検索をしたら店の名前は別のものになっており、店主も料理人も入れ替わっているようでした。

 

結局どうしてベンガルが好きだったのかな?やっぱり名前かな?もう確かめようがないんだな。
そんなことはさておいて、元気でいたらいいのにな。

 

「死にたい」とつぶやく子どもたちに「命の大切さ」が響くのか

 

はじめての方には「はじめまして」。そうでない方には「お久し振りです」。

フリーランスライターの鈴木希望です。

ブログを引越しいたしました。理由は「今の自分はこっちの方が楽そう、なんとなく」、その程度でございます。

 

さて。昨日SNSで下記のブログがシェアされてきました。

lite.blogos.com

 

誕生学について知ったとき、わたしは強烈な違和感を抱きました。それはわたしが、松本先生おっしゃるところの「1割の子どもたち」のひとりであり、ごく身近にやはり「1割の子どもたち」として生き、若くして亡くなった幼なじみ(以下・T)がいたからです。Tに関しては若干のフェイクを入れて書きますね。

 

後にアスペルガー症候群と診断されるわたしと、今にして思えばADHDと思えるような特性を持っていたTは、学校では“扱いにくい子ども”とされていました。言葉にしにくい生きづらさを共有できることも、Tとわたしの距離を縮めていたのだと思います。

中学校に入るころ、わたしはてきめんに体調を崩し始め、朝から放課まで学校にいられない、半ば不登校のような状態になりました。今思えばアスペルガー症候群の二次障害だったのでしょう。Tは一見ごく普通に登校していました。

中学校卒業を間近に控えたある日、どんなタイミングであったかは失念してしまいましたが、「死にたいと思ったことはある?」とTに質問されたことがありました。

「あるよ。しょっちゅう。死にたいというか、自分をなかったことにしたいような」

「ああ、あるんだ。そうか」

「そういうこと言うなとか怒られそうだから言わないけど」

「でも、思っちゃうのはしかたないよね」

今にして思えばTも相当追い詰められていたのだと思いますが、自分も追い詰められており、そしてその自覚がなかった当時のわたしは、「そうか、Tも思うんだね」程度にしか感じていなかったような気がします。

別々の高校に進み、Tはそのまま県外の専門学校に進学。わたしは高校中退を経て就職、その後諸事情あってやはり県外に転居しましたが、電話や手紙の交換は続いていました。そうした中、彼女はうつ病を発症し、やはりうつ病を経験したことがあるわたしのもとに、泣きながら電話をかけてくることが増えたのです。

「わたしが死にたい、消えてなくなりたい、って言うと、そんな悲しいこと言わないで、って返ってくるの。わたしだって、死にたいとか思わなくて済むようになりたいよ。でもそういう気持ちが浮かんでしまう。それを吐き出すことさえ、わたしには許されないのかな?」

泣きじゃくりながらTの口から吐き出された言葉は、今でも耳に残っています。「そんな悲しいこと言わないで」と返してきた相手が誰なのかはわかりませんが、相当に堪えたでしょう。そう、彼女の言葉のとおり、「死にたい」と口にする人は「死にたいとか思わなくて済むようになりたい」けれどどうしていいのかわからないケースがほとんどなのです。

そしてTは20代前半のある日突然この世を去りました。

 

話は変わりますが、この話の数年後、わたしは夫からのDVを受け、精神的に衰弱していました。通勤途中、ほぼ無意識に線路に飛び込もうとして、周りの誰かに羽交い締めにされてはっとする、というのが日常化していたほどです。DVを受けているという自覚がなかった当時のわたしは、どうしたものかと悩み、とある人に打ち明けました。

「そうやって死の提灯を軽々しく掲げて同情引こうとするのはやめろ」

この言葉が返ってきたとき、「ああ、やっぱりつらさを吐き出す資格なんて自分にはないんだ」と思い込み、ますますふさぎ込みました。現在の元気なわたしがこのやりとりを振り返ると、相談された方もさぞかしお困りになっていたのだろうなと思えるのですが……。

 

DVを奮う夫から逃げてその後離婚、PTSDの治療をしていたとき、「つらい思いが浮かんだら、それを紙に書き殴る」というワークを医師に勧められました。「死にたい」「消えてなくなりたい」などと浮かんだら、それをそのまま紙に書く。考えず、ひたすら、浮かんだままに書き殴る。しばらくそれを続けていると、いつの間にか「生きたい」「生きたい」「生きたい」と、泣きながら書いているのです。「死にたい」と思うたび、本当は生きたい自分に気付かされました。何度も何度も「本当は生きたい」と泣きました。

ですから松本先生のおっしゃる

誰かに「死にたい」と告げるのは、「死にたいくらいつらいけど、もしもそのつらさが少しでもやわらぐのであれば、本当は生きたい」という気持ちがあるからです。

 この言葉が、身に染みてわかるのです。

 

生まれてきたことへの喜びを見い出せなかったり、生きることの楽しさを見失ってしまった子どもに、「命は大切。死ぬなんてもったいない」という正論のような言葉を伝えたところで、果たしてその心に響くのでしょうか。

 

「生きたくても生きられない人もいるんだから、って言われてもね。あげられるならその人に命をあげて、最初からいなかったことにして欲しいよ、わたしなんて」

15歳だったころの自分の言葉が、ふと思い出されました。